環境都市 推進事業

 
 
 

環境都市とは

環境都市とは、明確な定義はありませんが、都市ビジョンの一つで、環境価値の創造脱クルマ社会の推進や低炭素社会の推進、公害問題対策推進や地球温暖化問題対策推進、あるいは、リサイクルなどのエコな活動推進、自然保護活動推進などによって形成される持続可能な都市を言います。
環境価値を創造するには、低炭素社会、循環型社会、生物多様性、水や大気などの環境価値要素を高めることが必要ですが、そのための取り組みを戦略的にかつ、総合的に展開することによって、はじめて、持続可能な魅力ある都市を形作することができるとされており、身近な例で言えば、再生可能エネルギーの導入や住宅・建築物の導入によるゼロエミッション化、電気自動車の大量導入と公共交通の整備などが挙げられます。
環境都市の実現には、イノベーションを引き起こすことが重要であり、これまでの社会常識を根本から覆す覚悟が求められ、
この都市には、よく言われる都市部のみならず、地方にある中核都市や町や村なども含まれますので、街の規模の大小は関係ありません。

現在の社会基盤は地球に優しくない

その地域に住む住民が、コンパクトなエリアに密集して住むことは、地球環境の持続可能性に貢献することになり、具体的には、公共交通と中密度の集合住宅の整備、エネルギーシステムの改善などを行えば、いまのクルマ中心の郊外の一戸建て生活よりも、効率的で、地球に優しい街になります。
私たちは、日常的に地球環境に負荷をかけており、なかでもクルマとエアコンの利用による負荷が大きくクルマ移動を減らし、エアコンを使わずに生活することができれば、地球環境への影響を軽減できます。
郊外の戸建て住宅でクルマとエアコンを使わずに生活するのは困難ですが、徒歩と公共交通で用事が済む都市であればクルマは不要であり、効率的な熱利用や通風などを工夫した集合住宅に住めば、エアコンの使用を極力、控えることができます。
現在の都市が地球に優しくないとしたら、それは、都市の社会基盤の未整備、あるいは誤った整備のためです。

都市にも守るべき自然はある

都市は、コンクリートやアスファルト、ビルやマンションに囲まれた人工的な地域であり、自然などない地域というイメージを持つ人も多いでしょうが、実際の都市には、緑地や公園、川原や池などもたくさんあり、動物も、たくさん住んでいますので、地方の都市と、大きくは環境は変わりません。
都市と地方の違いは、そこに住む人の数と、その人たちの生活(移動や住居など)を守るための社会インフラの整備率であり、都市と地方の一番、大きな違いは、そこに住む人の数です。
日本では、長い間「都市には自然がない」=「都市には自然がないので子供たちは自然と触れ合っていない」=自然体験として地方に連れて行き自然体験をさせる、という間違った考え方が、主流を占めていますが、大人が、気が付かない(忘れている)だけで、都市の子供たちも、自然と絡んで遊んでおり、遊ぶ場所は、神社や公園の茂みや隅っこの草原、河川敷など様々ですが、そこに、子供たちは、自分たちの秘密基地を作ったりしていましたが、身近な自然(秘密基地)が破壊されても、それに、気づかない、あるいは、関心を持たない、のは大人だけであり、子供たちは、悲しい思いをしているかもしれません。
一番怖いことは「都市には自然がない」という間違った認識は、
都市に今ある貴重な自然を破壊する方向にしか作用しない、ということであり、大人たちの無秩序な開発行為は、
子どもに、自然の中での遊びと自然破壊を同時に体験させているということを肝に銘じるべきです。

人の存在価値

都市環境(環境倫理)を、突き詰めていくと「地球環境を破壊しているのは人であり、人がいなければ、地球環境は、ここまで壊されることはなかった」という人の存在自体を否定することになりますが、これは、環境問題を論じたり、教えたり、学んだりするときには非常に重要なことになります。
また、環境問題は、人間嫌い、文明嫌い、を引き起こす面もあり、人は、地球や自然にとって害悪をもたらすだけの存在で「文明の歴史=自然破壊の歴史」であったという解釈もできてしまいます。
実際に、産業革命以降、人間活動が、地球の気候に不可逆的な変化を起こしている(地球温暖化)ことや猛烈なスピードで種の絶滅を引き起こしたこと、自然の循環に収まらない人工物(廃棄物)をつくったこと、などの問題がありますが、逆の見方をすれば、気候変動を緩和し、種の絶滅スピードを遅らせ、人工物(廃棄物)を適切に処理できるのも人だけ、となり、人は、自分たちの先祖が行った行為に対する責任があり、これからの未来を担う子孫(子供や孫)に対しても、さらに、大きな責任を負っています。

環境都市について

環境都市を構築するためには「環境倫理」を、完全に理解することが重要になりますが「環境倫理」を、突き詰めると、人の存在自体を否定することに、つながってしまいます。
また「環境倫理」という言葉や、その意味
は、国の広報不足もあり、国民にとっては、まだまだ、馴染みのない言葉ですし、言葉を知っていても、その定義や目的が十分に理解されているとも限らず、自分には関係がないモノとして受け止めている人もいると思います。
しかし、環境および環境問題に関する人間社会の行動規範である「環境倫理」は、自然愛好家やアウトドア派だけのものではなく、地球に暮らす人間全員に関わりのあるものであり、
特に、現代は、地球の人口の半分以上が都市(大都市)に住んでいるので、多くの人にとって身近な環境は、都市環境になります。
したがって「都市に住んでいるから環境問題は関係ない」と考えている人がいたら、それは、大きな間違いであり「都市問題=
環境問題」になりますので、都市に住んでいる人には、都市の環境に関心を持ち、都市環境の改善に尽力を尽くすべきであり、それが、地方に波及した時、他の地域の環境にとってプラスに作用することになります。
環境都市の構築は「言うは易し行うは難し」です。
しかし、時間がかかろうとも、手間がかかろうとも、いまの時代に生きる私たちには、それを、履行する義務があります。
私たちにできることは、
身近な環境から構築(改善)することであり、思考が伴わない行動は現実化することはありませんので、まずは、環境について、意識することから始めるべきです。
意識することができれば、あとは、行動を起こすだけです。